第1章 北陸の女性 ② 歴史が育んだ女性像 009P
お家の存亡をかけたとき、バランスのよい決断と行動にあったとされている。
「川魚太閤記」という書物によれば、秀吉と家康が尾張小牧で対時し、徳川側についた越中の佐々成政が能登の末森城に攻め入った際、まつは、出陣をこまねいている利家を、「末森の城を守れ、生きて帰るな」と叱咤(しった)し、蔵から金、銀を持ち出して、夫の前にほうり投げたという。
また、時代が家康に移るや、忠誠の証として人質を命じられた時には、家臣の反対を叱り、なだめながら進んで江戸に赴いたのも、女性ならばこそなしえる決死の選択ではなかっただろうか。
しかし、いくら賢いまつであっても、危機に直面して、このような適切な判断ができたはずがない。
史実というものは、後世が付け加えたり、削ったりしながら理想化するというものだ。
そこで私には、そうなしえたまつの偉大さの真相というのが、史実にない舞台の裏方にあったのでないかと想像してみるのである。
思慮深いまつのこと、天下に野心
続く・・・
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