第6章 こんな女は問題だ ⑤ 料理をしない女 144P
のことであろうか。
史実によれば、武家の時代はかなり恵まれた農家でさえ、米飯を食べるのは祭日、婚礼、葬式などに限られたようで、一般の武士の間でも、米七分、泰三分の混合級が普通だったから、純粋な米飯を毎日口にできたのは、おそらく将軍、大名、旗本、豪商などの一部の階層だけであったのだろう。
そんなに古い話でなくても、大正時代に隣県魚津市での米騒動がきっかけで、石川県においても貧しい生活を強いられ、ふだんからそう簡単に米を口にできなかった下層のかあちゃんたちが、子供を背負い、手を引きながら「米よこせ」と騒動をやったという記録がある。
私の子供の頃は、日常生活でも、「男が流し(台所)に立つな」と戒められていた。
その台所は、たいてい土や石床で、釜があり、鉄鍋やおひつが並べられ、漬物桶が置いてあって、もちろん食事を作る場であるが、そこはまた、難しい家族や親戚らのしがらみの中で、女だけに許された安息の場であったのである。
男尊女卑の制度の中にあっても、赤裸々に女の姿や本性を見せないという、防衛本能がつくり出した世界であったというべ
続く・・・
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