第6章 こんな女は問題だ ⑤ 料理をしない女 143P
輪島市大手町では、毎年二月十六日にご飯を腹いっぱい食べる「もっそう祭り」がある。この祭りの由来をたどってみると、豊臣秀吉の時代に、世にいう太閤検地が行われ、厳しい税(年貢)が決められた。
こうした政策が長期間にわたって踏襲されたうえ、やがて「農民はみだりに米を食うべからず」というお触れが出たため、農民はヒエやアワしか食べられなかった。
生活に窮した農民は隠し田をつくり、そこで収穫した米をこっそり持ち寄って食べたのが「もっそう祭り」の始まりといわれている。
同じ継承行事が、白山麓の山深い白峰村にもある。
雪の深い地域であり、焼き畑農耕でヒエ、アワしか取れなかったこの村の人たちが、二合たっぷりあるだろう、てんこ盛りの椀飯をいただくのである。
それらは、食べ物に対する執着心とか卑しい欲望ではなく、真っ白い山盛りの飯を目の前にして、親から子へ、子から孫へと村の人々の思いや感謝が語り継がれるのである。
今では、米飯が日本人の主食だというのが常識であるが、日本人がそんなに自由に白米を日常の食材にできたのは、果たして何時(いつ)ごろから
続く・・・
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