第3章 移り行く女性像 ⑥ 戦後混乱期 051P
あるいは大陸に夢と希望を託した農業移民が、死の逃避行や現地民からの襲撃など、その惨劇は、「体験した人にしか、その苦しみはわからない……」と、私の知る生き証人も多くを語ろうとしないのは、想像を遥かに絶するものであったに違いない。
やがて、混雑した埠頭(ふとう)から一人、二人と消え去ると、波止場は元の静けさに戻る。そんな桟橋で、「また引き揚げ船が帰ってきたのに、今度もあの子は帰らない」と一人呟(つぶや)きながら、海を見ている老女がいた。
岸壁の母で有名になった富来町出身の、「端野いせ」さんである。
手塩に育てたセガレを、
♪明日はお立ちか、お名残惜しや
大和男児の、晴れの旅
と戦地に送る、その出征を誰よりも名誉と誇りに感じながら……。
やがて、終戦となり、そのセガレを
♪母は来ました、今日も来た
この岸壁に、今日も来た……
と戦地からの帰りを、誰よりも待ち焦がれながら迎える。
これが十月十日まで、母の胎内で育てた「女の性」というべきか、無事この世に生命を宿さんと、ひたすら神仏に念じた、慈悲にも
続く・・・
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