アクタス6月号 女探偵は見た 人生こころ模様 第6回
絆を失った父子
当社は1964(昭和39)年、北陸で初めて誕生した探偵社として、さまざまな依頼を受けてきました。
人からこの仕事に就いたきっかけをよく尋たずねられるのですが、実は創業当時、私は単なる広告塔。実務といえば、夫の助手からのスタートでした。
ところが実際には、私の方が探偵に向いていたようです。
よその探偵社とも連携し、調査機材の充実、技術の習得・向上、調査員の育成に努め、あっという間に長い時が流れました。
現在は、私の教えを受けた後進が会社運営や調査業務に当たっています。私たちは技術や精神を伝承しなければ成立し得ない、最も難しい職業の一つに従事していると自覚しています。
復できないケースも
当社で請け負う依頼内容は、浮気調査が全体の75%を占めます。
男女が織りなす人間模様は、まさに人生の縮図です。
私たちの世界は、一般人から見ると、非日常なのかもしれません。
「事実は小説より奇なり」
という言葉がありますが、浮気や裏切りは、端的に言うと、興味や愛情の対象が変わりやすいこと、なんて平気で言えるくらい、ちまたにあふれています。
もちろん、生涯にわたり、探偵に調査を依頼することがないまま人生を終える人も大勢いるでしょう。
しかし、思いもよらない悩みごとがあなたを襲うこともあるのです。
浮気調査のほかにも、結婚調査、盗聴検査、雇用調査など、さまざまな依頼が入ってきます。
時には企業から就業者の勤務実態を調べてほしいと言ってくるケースだってあります。
そんななか、今回紹介するのは、親子問題に関する事例です。
親が子を思い、子は親のしつけを守り、親に感謝する。
そんな良き時代は、終わってしまったのかもしれません。
「親子の絆は今も昔も変わらないはず」と考える向きもあるでしょうが、現実は甘くありません。
親子関係が修復できないところまで悪化するケースは、決して少なくないのです。
上京も息子に会えず
富山市の会社員松本篤史さん(52)=仮名=には、一人息子の祐一さん(21)=同=がいます。
祐一さんは3年前に地元の高校から東京の大学に進学しました。
ある日、篤史さんが息子の携帯電話に連絡しても出ないことがありました。
着信履歴に気がつき、かけ直してくるだろうと思っていましたが、何日たってもいっこうにかかってこず、さらに、何度かけても息子が電話に出ることはありませんでした。
それから2週間後、篤史さんは心配になり、息子に会うため上京しました。
アパートの部屋のドアをノックしても返事がなかったため、ドアの郵便受けから、中をのぞいて見ました。
すると、玄関の靴や部屋の一部が見えて、人が生活している雰囲気が感じられました。
そこで息子の帰りをしばらく待っていましたが、夜になっても息子は現れませんでした。
結局、2日間待っても息子が来る気配はなく、篤史さんは途方に暮れて、富山に戻りました。
その後、1カ月が経過しても状況は変わらず、いたたまれなくなった篤史さんは、当社の金沢相談室を訪ねたのです。
母を泣かせた父の浮気
篤史さんの依頼内容は、親として当たり前の内容でした。
「息子と連絡が取れない。どんな生活をしているのか調べてほしい。悪い宗教に入信していたり、何か犯罪に巻き込まれたりしたのではないかと、不安で夜も眠れない。もし無事が確認できたら、息子に電話に出ない理由を聞いてきてほしい」
私は、ここに至いたるまでの祐一さんと家族の関係を聞いてみました。
篤史さんによると、3カ月前に妻が病気で倒れ、そのまま亡くなったとのことでした。
篤史さんは「息子はそのことでショックを受けているのかもしれません」と漏らしました。
私も、祐一さんが音信不通になったことと母親の死に因果関係があるように思えました。
というのも、祐一さんが母親思いで、よく「母さんを楽にさせてあげたい」と言いながら勉強に励はげんでいたそうだからです。
私は次に、こう尋ねました。
「お父さん、あなたと息子さんの関係はどうでしたか?」
篤史さんはしばらく目を伏せた後、重い口を開きました。
「実は私が若い頃、私の浮気が原因で、妻を泣かせていました。それを見て育ってきた祐一は、私を父親だとは思っていないかもしれません」
狭い住宅街で調査難航
篤史さんの依頼を引き受けることにした私は、4日間の日程で調査を開始し、すぐに3人の調査員を上京させました。
祐一さんが住んでいるのは都内の閑静な住宅街。道みち幅が非常に狭く、身を隠す場所がほとんどないため、調査が極めてやりにくい場所でした。
そこで、1日目の昼間は調査員が直接張り込み、夜は偽装したカメラを設置して様子をうかがうなど、見つからないように工夫しながら調査を続けました。
しかし、調査は苦難の連続でした。近隣住民から不審者と間違われて警察に通報され、職務質問を受けたこともありました。
何の音沙汰もないまま3日が過ぎ、現場では誰だれもが焦りを感じ始めました。
「もしかすると、祐一さんは既でに部屋で亡くなっているのではないか」などと言い出す調査員もいたようです。
冷静に考えれば、これほど長く遺体が放置されていれば、悪臭が漂ただよい、誰もが気がつくはずです。
百戦錬磨の調査員たちが妙な不安に駆られるほど、今回の張り込みはきついものでした。
歌舞伎町でホストに
調査開始から4日目の夜、最寄りの駅で張り込み中の調査員から、アパート近くにいた調査員に無線連絡が入りました。
「祐一さんと思われる背の高い若者が、駅からそちらに向かっているので確認願います」
姿を現わした男性は祐一さん本人でした。祐一さんはこちらに気づかない様子で、アパートに入っていきました。
1時間後、祐一さんが部屋から出てきました。
「この機を逃のがすわけにはいかない」。調査員はそのまま尾行を始めました。
祐一さんは最寄りの駅から新宿方面に向かう電車に乗りました。
電車内での彼は黒い細身のスーツ姿のせいもあってか、どこか浮いた存在に見えました。
行き着いた場所は、日本一の歓楽街・歌舞伎町にあるホストクラブでした。
調査員はここで、ようやく状況を理解したといいます。
祐一さんは、大学に通いながらホストとして働いていたのです。
生活は荒すさみ、せっかく内定している就職先に行くかどうかも迷っている状態でした。
「もう親子ではない」
篤史さんとの約束通り、調査員は祐一さんに話しかけました。
「お父さんの使いで来ました。お父さん、心配していますよ」
「親父に伝えてほしい。もう親子ではない、と」
祐一さんの口から出たのは、想像していた通りの答えでした。
しかし、調査員はあきらめずに説得を試こころみました。
「どんなことがあったにせよ、父親には間違いはないですよね。連絡をしないでいると、お父さんが心配するのは当たり前じゃないですか。それならそれで、あなたがきっちり気持ちを伝えるのが筋じゃないですか?」
それでも、祐一さんは「もう父親の世話にならずに生きていく覚悟を決めた」と考えを改めようとしなかったそうです。
最近話題になった福山雅治さん主演の映画「そして父になる」は、親子関係において、血縁を重んじるべきか、それとも育ての親と子の絆が大切なのかを問いかける興味深い作品でした。
これを、この親子に当てはめると、血はつながっていても、絆が薄い関係だと言えます。
さらに、私が思うに、祐一さんの振る舞いは、篤史さんが犯した罪に似ています。
なぜなら、いずれも人の心を踏みにじることに変わりがないからです。
息子から届いた手紙
派遣した調査員も、私と思いは同じでした。調査員は祐一さんに「お父さんとよく話し合ってほしい」と告つ げ、篤史さんの手紙を渡しました。
その後、篤史さんから私に「祐一から手紙が届いた」と連絡が入りました。手紙にはこんな内容が書きつづられていました。
「父さんが母さんに対してやってきたことを許せるように努力した結果、ホストという仕事に興味が出た。(中略)それから、おれにとって父親は一人だ」
文言は無骨ながら、その行間には、父親への思いがにじんでいるようにも感じられます。
男同士の関係は言葉だけで語れない要素があるのかもしれない、などと思いながら、私は今も、2人が絆を取り戻す日が来ることを願っています。
(登場人物は調査結果を素材にした創作です)
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